少し前に「OMORI」というゲームをプレイしたので、紹介したいと思います。
精神科医療の現場にいる僕にとって、このゲームは色々と考えさせられる点が多かったので、後半で語りたいと思います。
ちなみに、ルート回収のためにスクリーンショットを撮りながら再プレイ中です。
ゲーム概要
本作はコマンド式のRPGで、ゲームシステム自体は簡単に言うと、ドラクエのようにエンカウントした敵を倒してレベルアップしながら探索を進めていくものになります
ゲームシステムの一部で本作の特徴とも言える要素が”感情”であり、他ゲームでいう毒や眠りの様な状態変化として「にこにこ」「いらいら」「しょんぼり」があります。これが三すくみになっているのですが、バトル中に感情を意図して変化させることで有利になったり、また逆に変化させられることでピンチになったりと、戦闘に駆け引きをもたらす面白い要素となっています。
しかし、この”感情”は戦闘にかかわる要素のみでなく、シナリオ全編を通して重要な意味をもつものになります。
物語自体は、主人公「オモリ」がホワイトスペースという真っ白な部屋で目を覚ますところから始まります。
オモリはその後、友人である「オーブリー」「ケル」「ヒロ」と合流し、友達を後ろに連れながら冒険を進めていくことになります。
どんなひとにおすすめ?
こんな人におすすめ
・RPGが好きだけど、普通のゲームには飽きた
・物語に隠された真相を追求するのが好きだ
こんな人にはおすすめできないかも…
・ホラー表現が苦手な方
・気分障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの精神疾患を患っている方
おすすめできない理由というのに上記をあげるのは、ゲーム紹介文にも以下の文言が記載されているからです
開発者はコンテンツを次のように説明しています: 「死」と「うつ病」というテーマを含んでいます。
このトレーラーを見て、嫌な予感がした人はやらない方がいいですし、単にかわいらしいゲームだなーと思った方もやらない方がいいです(笑)
雰囲気に察しがついて、そのうえでなお興味がそそられた方はぜひやってみてください
なんにしても、決して万人受けするゲームでないことは事実です
ただ、なんとも愛らしいキャラクターが多いのはとても魅力的です
※以下、ネタバレ含みます
考察まとめ
※この項は作成途中です
「何かを待ってるの?」
猫のニャーゴや階段のヘビなどが良く口にするセリフですが
元の英文では「Waiting for something to happen?」のようです
「何か(が起きること)を待ってるの?」
というニュアンスであり、つまり「ここにいる限り何も起きないよ」「自分から行動しないと何も変わらないよ」という意味を含んでいるように思われます
一つ目の亡霊
物語を進める中で、オモリは黒い一つ目の姿をした亡霊に何度も出会います
これは物語の中でもはっきり示されますが、木に吊られているマリのことを表しています
オモリは現実世界でのトラウマから逃れるために、生きているマリが存在するホワイトスペースの中で過ごしていますが、それでも逃れられない記憶が亡霊という姿で時折目の前に現れます
木に吊られるタイヤのそばや、湖のそばにその姿を見るのは明らかにマリを連想させるシチュエーションです
黒い電球
電球は発想やひらめき、想像を連させるシンボルです
その電球が真っ黒で何も見えない状態ということは、現実世界への思考の途絶、空想世界(ヘッドスペース)への思考の強化を思わせます
物語の進行に伴い黒い光はどんどん強くなりますが、最終的にその電球を割ることで、ホワイトスペース・ヘッドスペースからの決別を意味しているのでしょう
おわりに
本当の友達であれば、包み隠さずに真実を打ち明けることが最善なのか
本当の友達であれば、罪をさらけ出してもなお許してくれるのか
物語はルート分岐するためエンディングは若干異なりますが、ノーマルエンドではサニーは自分の過去と向き合います
しかしゲームの結末では、打ち明けられたであろう事実に対してケル達がどういった反応を示したかは明らかにされずに終わります
それは決して幸せなエンディングとは言い切れないことを含んでいるのではないかと思います
「友達であれば」というのに期待するのは結局自分のエゴで、自分の犯したことはそれが不可抗力であれ何であれ、自分が向き合っていくほかありません
もちろんそれも含めて寛大に許してくれる友達は存在するでしょうが、あくまでそれは友達自身が判断することで、自分から求めることでは決してありえません
このゲームでは皆が愛していた人の「死」という出来事を中心に語られますが、現実の自分の身に置き換えても、どこか他人事とは思えない気持ちになります
目を背けてしまいそうになる事実を、目の前に突き付けられるような感覚です
自分がしてしまった行動の責任は常に自分にあるのです
でも、完全無欠の人はいません
誰しも過ちを犯してしまうことはありますが、そんな時にサニーが逃げ込んだ場所のような自分なりの「ホワイトスペース」で過ごすことも悪くはないと思います
それは自分の「心」がそれ以上壊れないように自分で下した行動です
そこから一歩踏み出すことはとても勇気がいることですが、それによって良い結果が得られるかというと、必ずしもそうとは言えません
「踏み出すこと」に他人からの見返りを求めるとしたら、それはある意味ひとつのエゴと言えるからです
踏み出すこと自体に良いも悪いもないのです
自分の行動には、ただ自分が責任を持たなければならないだけ
救いが無いようにも聞こえますが、自分で自分を苦しめる感情に対しては肯定も否定もせずただありのままを受け入れて、認めてあげるだけ
そこにいるのは苦しんでいる自分に向き合っている紛れもない自分、だれからも疑われたり非難されることもない、認めてあげるべき自分がいるからです
最終決戦で何度倒れようとも屈しなかったオモリは、今まで散々苦しんで戦ってきた自分、他の誰でもなく自分が認めてあげる自分の姿だったのです
ことの是非を他人に求めない、ありのままを受け入れるということが結果的に前に進むことにつながり、こころの「回復」はそこから始まっていくんだ、ということを精神科的な観点から考えたりしました
ケル達とのその後が気になりますが、この「OMORI」に登場する友人たちはいつも優しく、これからもサニーを支えてあげてくれるだろうと思えるため、少し救われます
すべてをプレイし終わって、胸の中にしこりが残るようでスッキリした気持ちにはなれませんが
それでも、作品に登場するすべてのキャラクターが愛おしく思える、とても大好きな作品です
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